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テオドラ (東ローマ女帝) : ウィキペディア日本語版
テオドラ (東ローマ女帝)

テオドラギリシア語:、995年 - 1056年9月初頭)は、東ローマ帝国マケドニア王朝女帝(在位:1042年1055年 - 1056年)。コンスタンティノス8世の三女で、ゾエの妹に当たる。
ミカエル5世の追放後、姉のゾエと共に女帝として即位したが、わずか2ヵ月後に退位した。
1055年、コンスタンティノス9世モノマコスが病死した後、女帝として再び即位した。しかしその翌年の8月31日に病気になり、数日のうちに死去してしまった。テオドラには嗣子がなかったため、ここにマケドニア王朝の血筋は断絶した。死後、テオドラの遺言により、その養子で元老院議員であったミカエル6世ストラティオティコスが皇位に即位することとなった。




抄文引用元・出典: フリー百科事典『 ウィキペディア(Wikipedia)
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